初めの一歩を踏み出す:虐待的行為を批難された人へのヒント

加害者をサポートするために:訳者メモ

Safer Spaceを作る過程で考えなくてはいけないことのひとつは、問題が起きたときの解決の方法です。声を上げるためのサポート体制が重要であるのと同時に、問題のある行為を指摘された人が自らの問題に向き合い、解決に向けた取り組みができるようなサポート体制もsafer spaceには欠かせません。

今回は性的虐待を批難された側の体験に基づくヒント集「虐待行為を批難された人のための10の提言」を紹介します。ウェブ上でも公開されているこのパンフは、メルボルンのRichmond Queer Space Projectに関わりDJ活動もしているWispy Cocklesによって書かれたものです。

書き手のWispy Cocklesは、後に疑いが晴れることになったそうですが、性的強要を批難され、それに向き合った自身の経験を元にこの10のヒント集を書きました。性的暴力や性的虐待は深刻な問題ですが他人事ではありません。わたしたちのコミュニティでこうした問題が起こったときに何ができるのか、とりわけ加害者とのコミュニケーションを考える手がかりとなる文章です。

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初めの一歩を踏み出す:虐待的行為を批難された人へのヒント (抄訳)

By Wispy Cockles

これからあなたが読む事柄は未完の作業であり、おそらく未完のままに終わってしまうかもしれない。わたしがこれを書くのは、困難な状況に向き合う人に手がかりを提供し、対話を促すためです。性的暴力や虐待で批難された人が罪の意識の有る無しに関わらずどのように対応すべきなのかを話し合うきっかけになれば、と思いこれを書いています。ラディカルなコミュニティの一員として、わたしたちはどのように虐待行為に向き合うのかについてしっかりとした対話を持つ必要があり、これはそうした対話の流れなのです。自分に対してたくさんの問いかけをしてみる必要があります。加害者が罪の自覚の有無に関わらず「説明責任の過程」を維持するところでの責任とは何か? サバイバーとコミュニティは、どのように加害者に責任を取らせるのか? 対立や分裂することなく困難で議論の分かれる状況に向き合う用意のあるしっかりしたコミュニティをどのように作るのか? 「有罪」か「無罪」かを決定することが優先なのか、それとも説明責任を求め特権を脱構築する過程を作り出すことが優先なのだろうか?

ここでは被害者の人称をジェンダー中立的に「彼/女」(s/he)を選び、<男=加害者/女=サバイバー>のモデルからこぼれ落ちてしまうサバイバーを配慮した。ただし、虐待というのは家父長的な現象で、多くの場合加害者は男性で被害者は女性である事実を否定する意図はない。

幸いにもわたしのそばには、大きな脅威だった虐待の批難に向き合う中での葛藤をくぐり抜けるのを支えてくれた大事な人たちがいてくれた。この文章はわたしにたくさんのものを与えてくれた全ての人たちと、わたしを触発してきたラディカルなコミュニティへの返礼のつもりで書いています。

わたしの考えでは、虚偽の虐待批難はそれ自体が精神的虐待だと言いたい。それでも、虐待に関する見方を持っておくことはとても重要です。誰かの虐待行為を訴えている人がいる時、どのような状況においてもはっきりと優先すべきことは、虐待からのサバイバーの要求と希望が基本に据えられるということです。虚偽の訴えは非常に稀なことなので、単に細心の注意を払えと言うわけではありません。それは加害者に対して立ち上がった人を信頼するコミュニティが形成されるのを支えることなのです。そしてまた、ヒエラルキーに対する闘いの最前線にいる者たちを支えることでもあるのです。こうした美しい魂の持ち主は、家という最も困難な場所での闘いを引き受けている。その強さは、彼/女たちが望むならば、ラディカルなタブロイド紙のブラックブロックが所有権を修正している写真の隣を飾るべきである。彼/女たちのミリタンシーはデモや大義が成されれば終わるものではなく、ミリタンシーに生きている。

忠告:深刻で感情に左右されやすい事柄は、Eメールでのコミュニケーションに頼らないこと。

虐待行為を批難された人のための10の提案

1. 正直に、ごまかさず、あくまでも正直に

あなたの虐待を訴えている人を傷つけたと思うなら、それを認めよう。その人を傷つけてしまったかもしれないと思うなら、そう伝えよう。その人の尊厳と境界を歪めるような振る舞いがあったかもしれないと思い当たるならば、そう伝えよう。虐待に相当するかもしれない振る舞いに向き合う第一歩は、まず否認から抜け出すこと。否認は感染していきます。正しくない態度があったことを、あなたが気がついていると言葉で言えるようになった時、意味のある、率直なやり方で問題に向き合う一歩を踏み出すことになる。

2. サバイバーの意思意向(autonomy)を尊重する

あなたが、問題となっている状況に対するサバイバーのオートノミーを尊重していること、解決に向けて取り組む用意があることを明確にしよう。サバイバーは二度とあなたと同席したくないかもしれないし、あなたと話したくないかもしれない。解決に向けた試みやあなたとの対話、あるいはその問題に関する特別な手続きを始めるのかどうかは、サバイバーの意向に委ねられる。そうした過程に入ることはサバイバーの責任でも義務でもありません。サバイバーのニーズと要望を尊重することが、問題を指摘されているあなたの責任です。

3. 聞くことを学ぶ

あなたを批難している人に向かって耳を傾け、心を開くことが何よりも肝心なことです。

a) あなたの問題を指摘している人に対話の主導権をリードさせる。もしもその人があなたに質問への回答を求めているならば応答すべきだが、それでも相手の発言権を認めよう。

b) 相手が状況の説明をしているあいだに、どう対応しようか、どう反論しようかと考え出さないように注意する。頭の中で対応や反論が動き出したら、それを止めるようにする。

c) 相手の説明に集中し、話が終わるまではあなたの記憶と照らし合わせることはしない。

d) 状況についての双方の説明の違いだけでなく、相手の言っていることの全体について考える。

e) 仲裁/対面の前に、あなたがよい聞き手になるために友人と話してみる。

4. 時間がかかっても忍耐強く

解決には時間がかかるかもしれないことを頭に入れておこう。数ヶ月か、数年か、数十年か。ある場合には、はっきりした解決というものがないかもしれない。人の尊厳に関わる問題は、時間を区切って解決できるものではない。解決や過程や対話を決して無理強いしたりせず、じっくり取り組む必要がある。あなたは対話や仲裁を求めているかもしれないが、相手が「ノー」と言っているならば相手が「イエス」と言うまでは、相手の境界を無理に押さない。あなたの人間関係における力関係を反省的に考えてみよう。

5. 被害者を責めることは絶対にしない

彼/女が暴力や虐待を望んだわけではない。彼/女の服装がどうであれ、酔っ払っていたからといって、セックスワーカーだからといって、SMにはまっていたからといって、何であっても、暴力や虐待を望んでいたわけではない。「あなたの」虐待的振る舞いに彼/女が「過敏」だからといって、あなたの振る舞いが帳消しになるわけではない。彼/女がフェミニスト/クイア/解放主義者/活動家/パンク/若者/PC(政治的に正しい人)だから虐待を「誇張」していると言ってしまうことは受け入れられない。あなたが行った他者を傷つける振る舞いのために、他の誰かが責められるべきだという言い訳をすることは、「あなたの」最低な振る舞いの責任逃れに他ならない。こうした態度はあなたの卑怯者ぶりをあぶり出すことになる。

6. 自分のことをしゃべろう

あなた自身の経験を説明することは構わない。あなたの虐待を糾弾する人がどのような経験をしたのか、分かると思い込んではいけない。他の人がある時にどう感じているのか、あなたは知ることはできないし、ましてや他者の感情が正当なものであるのかどうかを判断する権利などない。同じ道を毎日歩いている人たちが、それぞれまったく異なる経験をしているのと同じように。大事なことは、相手の感情を積極的にあなたが理解しようとすること。あなたがいくら誠実に理解しようとがんばって、それでも分からなかったとしても、相手の感情が妥当なものかどうかをあなたが判断する権利はないのです。

7. 口封じに走らない

あなたの立場からのストーリーをしゃべることで、あなたが虐待した相手を沈黙させる雰囲気を作ってしまうかもしれない。もしもあなたの認識と相手の話に大きな隔たりがあり「不当に責められている」と思ったならば、まずは深呼吸を。まず第一にあなたが知らなくてはならないことは、あなたの態度がどのように他人に影響を与えるのかを問い直し、こころの底から自分自身を洗い直す作業には終わりがない、ということ。出来事が終わってしまわないのと同じように。時間が経つにつれて、あなたの態度が本当のところ虐待だったと思い至るかもしれない。

あなたが自分の説明の方こそ「真実」だと主張することであなたのことを訴えている人(たち)を黙らせようとするならば、それはさらに他の人も黙らせることになります。<あなたの>口封じの態度は、あなたに話を聞いてほしい、虐待に向き合ってほしい、と思っている人を威嚇することになるのです。誰もが自らに加えられた不当な行為について自由に話すことのできる世界を作りたいと望んでいるのならば、批難している人のことを、あなたのことで「うそ」をついていると説明するのに躍起になったり、批難している人たちには「動機」があるなどと、あなたの推測や説を広めることはできないはずです。

口封じの態度とは、虐待からのサバイバーを誤報の犯人に仕立て上げようとする<あらゆる>態度のことを指します。こうした態度は虐待の加害者を被害者にする試みであり、虐待を批難する人の人格をとやかく言う雰囲気を作り出してしまいます。支援に消極的な態度‐「わたしはこの事には関わりたくない」「あれこれ違う話が耳に入ってくる」‐も作り出すことになる。口封じの態度は虐待の加害者に対する批難を怖がり、加害者を批難しない雰囲気を作り出し、その結果虐待は終わらないのです。

だからといって、問題となっている状況についてのあなたの経験を話してはいけないというわけではありません。尊敬を払ったやり方で、そして虐待についての沈黙をもたらさない雰囲気の中で話すのはあなたの責任です。あなたの経験を話す相手は親しい友人、仕事の仲間、聞いてきた人に限定した方が賢明かもしれません。そして繰り返しになるけれども、あなた自身のことを話すこと。相手の話を織り交ぜて一貫しない印象を与えたり、相手の話を相手の人格と結びつけたり、相手の問題提起の方法を批難したり、関係性の問題を持ち出したり、あなたを「魔女狩り」や「運動を破壊する活動」の犠牲者に位置づけたり、相手をうそつき呼ばわりすることはしてはならない。もし相手の話と食い違う点があるのならば、あなたの話しは、あなた自身の経験でありあなたの立場からの状況説明であることをはっきりさせておこう。あなたの話すことは、あなたの記憶にもとづくものに限定させよう。必要ならば専門的カウンセラーの助けを求めよう。もしもあなたが不当に責められていると確信するならば、自分の人格についてあなたがしゃべらなくても、あなたの人格があなたのことを語るはずです。

8. 友だちにかばってもらわない

加害者を積極的に擁護するのは本人だけではなく、加害者の友人・運動仲間・恋人・パートナーである場合もよくあることです。「でも・・・あの人はとってもいい人だよ」「運動に大きな貢献をしてきた」「あの人がそんな事するわけがない」という反応がよくある。もしもあなたの周りの人が、あなたを問題から遠ざけようとしていたり、あなたが問われる事態から保護しようとしていると感じるならば、それは容認できないことだと周囲の人たちに伝えよう。あなたはサバイバーとその支援者の批判と怒りを聞く必要があるし、あなたの周りの人の口封じの態度を止めさせる必要がある。あなたの周りの人に知ってもらうべきことは、本当にあなたのことを心配しているのならば、自分の人格擁護や相手の批判をするのではなく、あなたが自らを問い直し、支配的な態度を変えていく道筋を探ることのサポートが必要だということです。

9. サバイバーとコミュニティの希望に応える

他者を傷つけた行為に対して責任を取る事は、回復と癒しのプロセスの中心的部分です。あなたはサバイバーとコミュニティの癒しと和解(healing)のために彼/女らの希望に応える必要があるけれども、それはまたあなた自身の回復と癒しのためでもあるのです。彼/女たちは、あなたが特定の企画や行動に参加しないこと、あなたが虐待やDV加害者のプログラムに参加すること、あるいはレイプや虐待を終わらせるための本を読んでレポートを書くことを望むかもしれません。できる範囲のことならば口論しないで、何でも求められたことに応じよう。あなたはサバイバーとコミュニティに対して誠実に対応し、あなたの虐待の問題に向き合う用意があることを示し、少なくとも、あなたが虐待的振る舞いをした可能性をきっちりと探る気持ちがあることを示す必要がある。そして、サバイバーとコミュニティの意思意向を尊重することも必要です。それは、安全、癒しと和解、抑圧が終わることへの要求と希望に向けた、彼/女たちの判断能力を尊重することでもあるのです。繰り返しになるけれども、あなたが虐待、レイプ、抑圧のない世界に生きることを望むならば、たとえあなたが「不当に糾弾されている」と感じたとしても、あなたはサバイバーの意思意向とコミュニティの自律的決定を支援するはずです。サバイバーとコミュニティの要求と過程を攻撃する口封じの態度を取ってはいけません。これは虐待の加害者とその支援者が責任回避のために行使する、典型的な問題の隠蔽工作なのです。

10. 責任を取る・・・起こってしまう前に虐待とレイプを止める

誰かの尊厳と自尊心を損なったこと、最悪のやり方で他人に力を行使したこと、つまりあなたが他人を傷つけてしまったということを認めるには、たくさんの勇気と自分のことを掘り下げる作業が必要です。誉められたり感謝されることを期待することなく謝罪を行うのはたくさんの誠実さが必要です。しかし、これこそが虐待を犯してしまいがちな傾向を克服する第一歩なのです。他者に対する過ちを犯したと知りながら、それを続けることはヒエラルキーを永続させることにほかなりません。正直に継続的に自分を探っていく気持ちと、虐待をしてしまいがちな傾向の克服に乗り出そうという気持ちが必要とされます。あなたが、(時にあるいは常に)人を虐待してしまうという問題があることを認めることが出来て初めて、どうして、どのようにあなたがそうしてしまうのかを学ぶことができるのです。あなたがかつてのパターンに逆戻りしそうな時にも早めにその兆しに気がつくようになるし、あなた自身のことをもっと良く見つめることができるようになります。自分はこうした虐待のパターンを学び直しながら生きてきたし、加害者と犠牲者のどちらの役割も否定することを学びながら生きてきたけれども、道程は遠い。悪い習慣はぶり返しやすいし、わたしたちは他人に力を行使しているわけではないと何度でも簡単に思い込んでしまう。どのような思い込みも問い直されなくてはいけないように、この思い込みも倦むことなく問い続けなくてはならない。

パートナーからの性的合意を得ることを学ぶのは重要です。感情的、経済的、肉体的、性的な幅広い表現を通した攻撃(目立たない攻撃も含む)を理解し、それがさらに深刻で危害をもたらす度合いに達する前に止めることがとても大事です。自分に起きている時だけでなく、他の人にこのようなことが起きていると気がついたならば、注意を喚起する必要があります。この過程は抑圧を克服する過程であり、加害者と被害者の役割を否定する過程でもあります。これは自由に通じる道であり、わたしたちの歩みによって開かれていく道です。あなたも初めの一歩を踏み出しますか?

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